この時計も、水窪の廃業した時計店のガラ箱に入っていたものを再生させたもの。当時の手巻き式腕時計にし ては非常に薄く、その代わりけっこう幅広に見える。とはいえ直径を測ってみると36mmほどしかなく、現代の肥大してしまった腕時計に較べると小振りだ。マーベルで 成功した諏訪精工舎が次に取り組んだのが薄型腕時計で、それに対抗して半年後に上市されたのが第二精工舎(亀戸)のこのゴールドフェザーだったとのこと。 そういう「切磋琢磨」が、はたして真に幸福を与えていたかは製品を使えばわかるものだ。確かに美しい時計で、シンプリシティをとことんまで突きつめた “顔”をしている。浜松市内の高齢の時計師は、「ゴールドフェザーですね、高かったんですよこれは」と当時は高級機であったことを明かしてくれた。しか し、再生が済んでも、残念ながらこの機械は完全復活とはならなかった。ラグ部分が弱くて歪んでしまっている他、竜頭を押し込むとどうしても分針がズレて正 確な時間合わせができない。また、日差マイナス10秒位と立派なのだが、どうしてもプラスに持っていけない。竜頭を弄って針を動かしても遠隔操作をしているようなぎこちなさがあって、薄型にするために大分複雑な構造をとり無理しているのがわかる。裏蓋を見ると14K GOLD FILLEDとあってかっこいいのだが、やはり時計は“使ってナンボ”だ。私の生まれた頃を憶い出しても、まだモノが整っておらず、そんなにファッション 性が問われたのかと疑問だったのだが、しかし先日、身に着けてジプニーに乗り込んで思い当たる節があった。ベンチシートで対面に向かい合って座るフィリピ ンのジプニーは私の子供の頃の“乗合バス”そのもの。で、ゴールドフェザーは異光を放った。クラス感、ステイタスでさえありえたのだ。こういう時計をする ときには、もちろん普段着ないようなボタンダウンシャツやベルトを着たくなることも関係している。しかし、たまに取り出してそうして使っても、ゼンマイをいっぱいに巻き上げた後すぐ止まってしまう。(風防をコンコンと弾くとまた動き出す。)いちど巻き 上げると長時間動き続けるし、新しい技術に挑戦したことはわかるのだが、そういう開発競争に消費者を巻き込んで、完成度の高くない商品を高い値段で売っ て、消費者を犠牲にしていくのが正しいコマーシャリズムなのだろうか。いってはなんだが、Goldfeatherはたんなる“エエカッコしい”の時計だっ たのだと思う。こういう、高価格ながら使い捨てのハシリだった腕時計と期を一にして生まれ、生きててきたと考えると、私はいたたまれない気持ちになるし、 日本人であることを世界に詫びたい思いにさえ駆られる。だが、私は私だ。私は、捨てないし、死ぬまで、拾い続ける。
というわけで、ブログでコレクションの販売もしていますのでぜひご覧ください。
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